恋愛結婚とお見合い結婚どちらがよいか?

恋愛コラム

牛さんこんばんは。

お元気ですか?

お忙しい中、申し訳ありませんがもしよかったら「恋愛結婚とお見合い結婚」という題で『恋愛コラム』に書いていただけませんか。

双方のプラス面とマイナス面についてなど‥一生独身で商売をして逞しく生きてきた伯母に「あんたいつまでも女1人でフラフラ生きていく気?いい加減にしなさいよ。」と言われています。

確かに両親は私のことを自由にしてくれてお陰さまで私は思うように生きていました。しかし両親もそろそろ何か言いたげです。今恋愛しているお相手はいませんが その2つの結婚について牛さんの考えを教えていただキタイデス

(byコティ)

ということで今回お題を貰った「恋愛結婚とお見合い結婚」ですが、その各々をどうのこうのという前に「恋愛結婚とは」しからば「お見合い結婚」とはなんぞいや、という起源を考えてみても面白かろう。

おそらく僕達が生きている前からどちらもあったのだろう、ということくらいは憶測出来ても、その起源を知っている人は少ないんじゃないかな。

今を生きている人たちは、生まれた時からそのどちらも当たり前のごとくに”あった”ので、そう問題事として考えることがなかったろうね。

実をいう僕もあまり知らなかったので、調べてみると意外なことがわかったよ。

今僕達が当たり前のように思ってる、結婚が恋愛の延長と考えられるようになったのは、戦後になってアメリカ思想に影響を受けるようになってからのことだそうな。

日本社会には、明治時代以前には「恋愛」という概念も言葉もなかったらしいよ。

今から思えば「ひょえ~」って感じだね。

それ以前の恋愛と同意語はというと、男女の親密感情を表す言葉としては「こひ」「いろ」「情」などがそうらしい。

そして日本に輸入された「近代的恋愛」は大正のデモクラシーという中で、日本の封建的「家」制度への反発や「近代的自我」の追求と結びついて発展していったらしいね。

その後全社会的に広まったのは第二次大戦後。たとえば、日本で「恋愛結婚」が「見合い結婚」を上回ったのは1970年代後半だったそうな。日本における「近代恋愛」イデオロギーは、戦後とりわけ1970年代以降にようやく社会の主流となったといえるのですな。

1970年って、結構最近じゃん!

って、思いません?

てぇことは、日本における「恋愛文化」なんてまだまだ歴史もなく始まったばかりじゃん。

それなら「恋愛ベタ」と呼ばれる輩がこぞっていても、なんら不思議はないさね。

とも思う。

ということで「恋愛結婚」ちゅうもんは、ここ最近はじまったものなんだね。

そしてその以前までのしきたりが「見合い結婚」だったというわけね。

武士がいる昔の時代の儒教思想に基づき、結婚は「家」と「家」の結びつきで、男女の結びつき、すなわち恋愛とは、まったく関係なかったようです。

まあほとんど自分の意志なんて関係なく、結婚させられたんでしょうね。

もうそうなれば自分の選択の余地がなく、当てがわれたその人がほんと”運命の人”だったんだね昔は。

これが歴史から見る「お見合い結婚」と「恋愛結婚」というわけだ。

まあそこで、今回のご質問者の、、、

>双方のプラス面とマイナス面についてなど

だけど。。

結論から言いますとですな、

「お見合い結婚」と「恋愛結婚」には双方とも、プラス面もマイナス面もどちらもありません。

というよりは、まずは「恋愛」も「結婚」も自分にとって「プラスかマイナスか」「メリットがあるかデメリットがあるか」などと考えるうちは良いことなんてありませんよ。

「お見合い結婚」でも「恋愛結婚」にせよ、まずはそこには異性との「出会い」があるだけなんだよ。

まずはそこに「自分とこの先付き合っていくかもしれない相手がいる」ということだけ。

それは「見合い」の場合は、正式に誰それが連れて来てくれることであるし、「恋愛」の場合も誰かの紹介かもしれないし、自分で直接知り合った人かもしれないというだけなんだよ。

「知り合うきっかけ」はどんなものでもいいと思うのね僕は。

大切なのは、それからだよ。

まあそれで、相手を「いいなあ」と思えばお付き合いがはじまるわけだよ。「見合い」にしろ「恋愛」にしろね。

だから入り口は違うにしろ、入ってしまえば同じこと。

それよりももっともっともっと、もっと重要なことがあるんだよ。
これはあまり誰も言わないことかもしれないけどね、、、

「結婚」を「恋愛」の延長で絶対してはいけない。

ということ。

「こいつまたバカなこと言ってら」と思うなかれ。

ほんとこれは真理だと僕は思ってる。

いいかい、「恋」という字をよくよく見れば「変」という字と親戚みたいに似てるだろ。

そうなんだよ、この「恋」は「変」の親戚なんだよ。

だから「恋」する気持ちというのは、必ず変わるのね。

変わるというよりも、覚めるという方がわかりやすいかもしれないね。

「恋」する気持ちというのは、誰もが自分でコントロール出来ない代物なんだよ。だから自制が効かない分、やっかい。

「恋」する気持ちを覚まさないまま、みんな「結婚」するから別れるはめになるんだよ。僕から言わせればね。

「恋」をするな、なんって言ってないんだよ。「恋」はどんどんする方がいい。とくに20代なんて男も女も性欲が有り余るほどあるんだから、ヤッてヤッてやりまくればいいんだよ。

30代でもどんどん「恋」はしなはれ。(なぜか京都弁)

男も女も、●ン●ンもマ●コも擦り切れるほどすればいいんだよ。なにもセックスだけじゃないよ。デートでもどこでも、行き先がなくなるほど行けばいい。

毎日々、電話もしてメールもして会いまくればいい。

それを尽きるまですれば、どうなるか。

そういう関係を尽きなくすれば、お互いええ加減飽きますわ。

「もうそんなに会わなくてもええやろ」

と絶対になるのね。

相手がどんな絶世の美人でも、俳優みたいな男でも、おそらく飽きますわ。

人間とはそういうものです。

片方が飽きて無くても、もう片方が飽きてきます。

「飽きたら終わりでっか?」と言われりゃ、「そうでんな」ともなりましょうが、ここからが肝心です。

確かに双方飽いて、ハイ終わり、となることもありましょう。

でもね、恋する時期は終わったけど「でもアイツと居ると結構楽しいな」「どうしても会いたいという訳じゃないけど、一緒にいるとおもろいしな」という満更でもない気持ちが相手に残った時に、お互結婚を真剣に考えたらいいんだよ。

何事も良し悪しを見極めるには、とことん行かなければならないんだよ。地獄の底か、天国の雲の上を見るまでは。

地獄か天国を見た人だけがそのものの「本質」を掴めると思うのね。

だから「恋愛」は真剣にしないとダメだということ。プラスだとかマイナスだとかメリットとかデメリットなんて計算しているようじゃ見えないんだよ。

でも「結婚」はその「恋愛」とは正反対に、二人で(二人というのがミソね)計算して建設的にこなしていかなくては成立しないものなんだね。

なぜなら「結婚」には、二人の経済があるから。

やにくもに結婚生活をしていたらダメになるよ。

ということで、

★今回のまとめ★

「恋愛」と「結婚」は全くの別ものです。

日本古来の「結婚」という考え方は、そうまんざら間違ってもいないと僕は思います。

「恋愛」は心のままに底を見るまでするべし。

傷つこうが死にそうになろうが、とことんするべし。

そして「恋愛」は気が済むまでやって覚ますべし。

「恋愛」を覚ました後に「結婚」は考えるべし。

物事を損得勘定だけで見ているうちは、その「本質」は見えて来ないよ。

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