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アンバランスな魅力について

まずはタイトル画像の4人の美女を見て、その共通点がお分かりだろうか?

最近YouTubeで完売画家として異名をとる中島健太氏の動画がおもしろく観ていた。

その中で世界で有名な画家の模写をリアルタイムで描く、というテーマでお喋りを交えてその画家の紹介を添えるという動画がある。絵のテクニックの紹介も見入ってしまうけど、彼の絵画史の造詣の深さにその語りもおもしろく、エンターテイメントの体を成している。ステキだ。

有名画家の模写の中で、フェルメールの超有名な「真珠の耳飾りの少女」という作品を模写している回があった。絵の技法の解説とフェルメールがこの絵を35歳で描いた、その時代背景なども色々と解説してくれる。

真珠の耳飾りの少女のモデルは諸説があり、特定出来ていないらしい。そして2日ほどで模写を完成したのだけど、さすがプロだけあって完全な完コピ、と思って画面をよくよく見ると。。。

なんか違う・・・

どこが違うのだろう、とよくよく観察してみると「目」だった。目の瞳なのだ。という事が分かった。そしてその違いが分かった時、ある女優を連想した。

僕の好きな女優、スカーレット・ヨハンソンじゃん。

スカーレット・ヨハンソンはアメリカの女優でメチャクチャ稼いでいる女優としても有名になった。幼い頃は両親の離婚で、かなり貧困な生活もしたらしいけど。

スカーレット・ヨハンソン出演で僕のお気に入りの映画は「ルーシー」という、リュック・ベッソン監督(ニキータ、レオンを作った)のやっぱりちょっとぶっ飛んだ映画。

普通のイカレた女のスカーレット・ヨハンソンは、ある麻薬組織の男たちにCPH4という新種の麻薬を体内に入れられ、外国へ強制的に持ち出すことを強制させられる。

しかしその途中、その強烈な麻薬が腹の中で破裂してスカーレット・ヨハンソンの脳はみるみると覚醒していく。通常脳は数パーセントしか使用されないところが、どんどん覚醒して20%、40%、60%と常識を超えて超能力が身についていく。そしてその強力な超能力を使い、麻薬組織に仕返しする、と簡単に云えばそんなお話し。

僕は当然スカーレット・ヨハンソンの大ファンなわけで、この映画はもう何回も観たけど毎回スカーレット・ヨハンソンの表情に魅入られる。なぜ、彼女の表情に見入ってしまうのか、、、まぁ、好きということは当然ある。けど、その彼女の真っすぐこちらを見る眼差しは何かが違う。

という事がずっと僕の疑問だった。

そして、冒頭の完売画家として異名をとる中島健太氏のフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の模写動画の完成を見て、そのずっと僕が疑問だった謎が分かった。

中島健太氏はプロなので、模写した「真珠の耳飾りの少女」は素晴らしい出来栄えだった。でも、やはり本物とは何かが違う。。。

素人の僕なりに観察していると、その違いが眼にある事が分かった。分かったと同時に女優のスカーレット・ヨハンソンが思い浮かんだという次第。

そうなのだ、この真珠の耳飾りの少女の眼と、スカーレット・ヨハンソンの眼は同じなのだ。

それに比べて中島健太氏が描いた真珠の少女の眼は、あまりにも端正な美しさなのだ。おかしなところがない。

こちらを素直に見詰めている。

それに引き換え、スカーレット・ヨハンソンと真珠の耳飾りの少女の眼はこちらを見詰めているようで、どこか定かでない。

その定かの無さが、とても気になっていたのだ。

もの凄くアンバランスなのだ。

なぜそうもアンバランスであり、こちらを落ち着かせない気持ちにさせるのか。答えは簡単だ、彼女たちの視線はいずれもこちらを直視していないように見えるからだ。

単直に云うと、外斜視なのである。

それを理解した上で、再度見比べて欲しい。

そしてタイトル画で挙げた残りの二人の美女も。。。

マリリン・モンローしかり。

多岐川裕美しかり。

美形の上、眼は外斜視なのだ。

整った顔立ちに、眼はその端正さと少しずれたアンバランスさがある。

これはどういう効果を発揮するのでしょうか?

これは僕的な考察ですが、人はバランスの悪いものを視界で捉えるとそれが凄く気になる、という習性がある。

マーケティングで僕も時折使うテクニックなんだけど、理路整然とした中に微妙にバランスの悪いものを配置すると、人は意識、無意識に関わらずそのアンバランスなものに気がいってしまう、というもの。

なのでホームページやチラシなどを制作する時にも、少し写真が歪んだ状態で配置する。すると人は無意識にでも、そのバランスの悪いものが脳にインストールされるものだ。

人間の脳は、不完全なものを完全にしたいという本能がある。

ありふれた例で云うと、よく知っている歌でもその歌詞や歌手の名前を度忘れして思い出せないということがあるでしょ。そういう時って、必ず気持ち悪いと思う。思い出せそうで、それでいて思い出せない状態。時に考えれば考えるほど、出て来ない。

もういいわ、とか思いながらもう忘れてしまったと思った時に不意に思い出す。

なのでスカーレット・ヨハンソンも、真珠の耳飾りの少女も美形な顔立ちに一点微妙にバランスが取れてない瞳があるのだ。

だからそれに見入られた人は、単に美しさを感じると同時に微妙な違和感も同時に感じる。でもその違和感は、通常の整った美人の美しさを超えるとんてもない破壊力のある「色気」というものに昇華される。と僕は思う。

「真珠の耳飾りの少女」の瞳が、数ミリ内側によって普通の視線を見る者に与えていたとしたら、これだけ後世に残る名画にはなっていなかったのではなかろうか。

もし、それを意図的に表現していたとしたら、やはりヨハネス・フェルメールは、とんでもない天才だ。

ちなみに外斜視の反対は内斜視。

内斜視の女の子は、愛くるしくかわいく見える。

寄り目は意図的にやろうと思えが誰でも出来るものだけど、外斜視というのは意図的に出来るものなのだろうか?

ここでまた謎が出来てしまった、、、(;’∀’)

ちなみに僕が今回取り上げた「真珠の首飾りの少女」という映画がある。そしてその少女役にスカーレット・ヨハンソンが演じているのだ。

この偶然も凄いと思う(゜-゜)

映画「真珠の耳飾りの少女」

この記事を書いた人

神戸在住の牛王田雅章(うしおだまさあき)、通称牛(うし)です。このサイトは僕の全活動をまとめた公式サイトとなっております。

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