キャリアウーマンと敏腕営業マンが知り合い恋に落ちるのはそう時間がかからなかった。二人の合言葉は何事にもスマートに。一分の隙のない彼女に、ある日男は約束の旅行にはもう行けないと言った・・・
※このドラマは音声で聞くことが出来ます。
マンハッタン
S E ドアの開閉の音
マスター :いらっしゃいませ。
男性客 :どうも・・・
マスター :お飲み物は何にいたしましょうか?
男性客 :そうだな・・・気付け薬はありますか?
マスター :え?
男性客 :冗談です。そんな気分なんですよ、今は。
マスター :ではマンハッタンなんかいかがでしょう?
男性客 :心が奮い立ちますか?
マスター :昔、アメリカの開拓時代、バーテンダーが傷を負ったガンマンの気付け用に作ったという説があります。
男性客 :そりゃいい。お願いします。
マスター :かしこまりました。
S E ドリンクを作る音
マスター :お待たせしました。
男性客 :ありがとう。傷を負ったガンマンの気付け薬か(飲む)・・・なるほど、少し落着きましたよ。
マスター :そうですか。
男性客 :マスターは西部劇好きですか?
マスター :はい、有名な物は見たと思います。
男性客 :クライマックスでよくでありますよね。ガンマン同士が背を向け、何歩か歩きざま振向いて撃ち合うって。
マスター :決闘のシーンですね。
男性客 :そう。そしてどちらかが倒れる・・・
マスター :大抵倒される方は悪者・・・
男性客 :そうです・・・恋愛にもそういう部分ってあると思いませんか?
マスター :え?
男性客 :まさに傷を負ったガンマン・・・心の傷を・・・
マスター :お客様・・・
男性客 :これから決闘を始めます・・・僕の恋人と・・・
スマートにクールに
マスター :決闘?
男性客 :別れ話をするんです。
マスター :恋人とお別れになるんですか?
男性客 :はい・・・月並みな言い方かもしれませんが、疲れちゃたんですよ。
マスター :疲れた?
男性客 :彼女はバリバリのキャリアウーマン。僕も一応1部上場企業の営業マン。出会いはやっぱり仕事がきっかけでした。スーツ姿で機敏に動き回る彼女には、確かにキラキラする魅力があった。そして二人が恋に落ちるにはそんなに時間はかからなかった。二人の合言葉はいつでもスマートに、そしてクールに・・・
マスター :スマートにクールに・・・
男性客 :そうです。ベタベタしないってことです。まあ二人というより彼女が好きな言葉だったんです。もっと簡単に言えばカッコ良く付合おうってことですよ。
マスター :よく判ります。
男性客 :彼女は言うだけあって、男性以上に仕事はするし、もちろんプライベートでも完璧な女性です。約束は必ず守るし、頼み事でも忘れたことはない。けっして愚痴は言わない、泣言も言わない。まさにスーパーレディです。
マスター :それほど素晴らしい方なのにどうして・・・
男性客 :友達のみんなマスターが言った通りの事をいいますよ。でもね、無いものねだりかもしれませんが、最近になって思うんですよ。もっと弱い部分を見せ合える人の方が気が楽だって。
マスター :そうですね、お客様のお気持ちもわかります。
男性客 :だっていくら男でも泣言の1つぐらい言いたい時だってありますよ。そんな弱い部分を見せられるのが自分の恋人であってもいいんじゃないですか?
マスター :そうですね。
旅行
マスター :いらっしゃいませ。
女性客 :ごめーん、遅くなっちゃって。
男性客 :いいよ、仕事だったんだろ。
女性客 :ええ、会議が長引いちゃって。
マスター :お飲み物何にいたしましょう?
女性客 :そうね・・・あなた何飲んでるの?
男性客 :あ、これ。マンハッタンだったかな?
マスター :ええ。
女性客 :じゃわたしも同じものください。
マスター :かしこまりました。
S E ドリンクを作る音
マスター :お待たせしました。
女性客 :ありがとう。で、お話しってなに?
男性客 :あ、ああ・・・
女性客 :夏に計画していた旅行の変更?
男性客 :ああ、それもある。
女性客 :いいわよ、まだ日があるし。旅行代理店には明日にでも連絡するわ。ちょっと待ってね・・・
S E バッグからシステム手帳を取出す
女性客 :ひかえるわ、言って。でも今からだと難しいから、予備の日程も考えてね。最悪は9月になるかもね。わたしはかなり自由が効くからあなたに合わせられると思う。
男性客 :相変わらずテキパキしてて、抜かりは無いな。
女性客 :性格なのよ。
男性客 :もっと気楽に出来ないのか?
女性客 :わたしがルーズな事が嫌いなのは知ってるじゃない。何事も計画がないとスマートに事が進まなでしょ。
男性客 :スマートか・・・アクシデントは?
女性客 :ある程度の予想外の出来事もプランニングには入れてあるわ。
男性客 :さすが裕子だな。それだったら少しは話やすくなった。
女性客 :なにが?
男性客 :もう二人で旅行にはいけない。
別れ話
女性客 :そうなの。そういう事なのね。今日は別れ話だったのね。
男性客 :ごめん。
女性客 :あら、どうして謝るの?
男性客 :だって、あまりにも一方的すぎるだろ。
女性客 :もっとわたしが怒ると思っていた?
男性客 :いや、そうじゃあないけど・・・
女性客 :美味しいわこのカクテル。マスターおかわり頂けるかしら。
マスター :かしこまりました。
S E ドリンクを作る音
マスター :お待たせしました。
女性客 :ありがとう。
男性客 :俺の勝手な理由だよ。裕子は完璧だったよ。
女性客 :それはどうも。
男性客 :仕事も出来るし、友達付合いもいいし、世間的な常識も備わってる。家庭の事も絶対うまくやっていく人だと思う。
女性客 :・・・
男性客 :ただ・・・
女性客 :息が詰まるんでしょ。
男性客 :・・・
女性客 :いいのよ、前の人にも同じこと言われたから。
男性客 :そうなのか?
女性客 :君は僕にはもったいないくらい完璧だ。だからもっと君にふさわしい相手を探せよって・・・
男性客 :そうか。
女性客 :でもそれは詭弁だわ。言訳に過ぎないと思う。本当に大切なものなら絶対手放したくはないと思う。本当はそうなのよ、違うかしら?
男性客 :(返答に窮して)うーん・・・
女性客 :あら、ごめんなさい。あなたを責める気はないのよ。わたしだったら大丈夫だから。
男性客 :本当に?
女性客 :(強気で)ええ。
強がりの裏側
男性客 :本当に俺を責めないのか?
女性客 :どうして?
男性客 :だって、一方的に別れると切出したのに。
女性客 :最初から言ってたじゃない。あくまでもスマートにクールに行きましょうって。だからもしお互いの一方が嫌になったら、恨みつらみなしでバイバイする約束だったでしょ。
男性客 :確かにそうだけど・・・
女性客 :けど、なに?
男性客 :そんな簡単に割切れるかな、男と女って。確かに今までは俺達カッコよく付合ってきたよな。オシャレにクールに。でも本当に寄添って生きていくことは、そんなカッコだけじゃないような気がするんだ。お互いの嫌な部分も見て、弱音も吐いて慰めもされ、ケンカしてもいいじゃないか。でも最後には相手を求め合う・・・
女性客 :・・・
男性客 :そんな意味での付合いが本当じゃないかな。
女性客 :強い人間はけっして弱音なんか言わないわ。
男性客 :それは一種のポーズだ。本当に親しい人には言うよ。泣きもするし、グチもこぼす。一番信頼してるからさ。
女性客 :スマートじゃないわ。
男性客 :確かにね。でもカッコ悪くってもいいじゃないか。その方が人間的じゃないか。
女性客 :わたしが非人間的だとでも言うの?
男性客 :いやそうじゃない。裕子も本当はそうしたいんじゃないかと思って。ひょっとして人一倍デリケードで傷つきやすいんじゃないかと思ったんだ。だからよけいそんなポーズと言葉で自分の心をガードしてるんじゃないかと・・・
女性客 :ありがとう。いいように考えてくれて。
男性客 :じゃ君の強さは本物ってわけか。
女性客 :とにかくわたしなら大丈夫よ。心配してくれてありがとう。
男性客 :裕子・・・
スマートな泣き方
男性客 :そうか、俺の思い過ごしか。
女性客 :ここでお別れしましょう。もう少し飲みたいの。
男性客 :でも・・・
女性客 :心配いらないっていったでしょ。
男性客 :裕子・・・
女性客 :マスターおかわり頂戴。
マスター :(成行きにためらうが)はい・・・
男性客 :分かったよ。マスター、ありがとう。帰ります。駅は歩いていけばまっすぐ北でしたよね。
マスター :はい。
男性客 :それじゃ・・・
S E ドアの開閉の音
マスター :お客様・・・
女性客 :(気持ちをふっきるように)おかわりをください。
マスター :まだグラスに半分程・・・
女性客 :あ、そうね。ごめんなさい、わたしったら・・・
マスター :お客様・・・
女性客 :(堪えようとしていた涙が溢れてくる)どうして・・・どうして涙なんか出てくるんだろ(無理に明るい口調で)変よねマスター・・・
マスター :いいえ。
女性客 :こんなの全然スマートじゃないですよね。
マスター :いいえ、とても自然で素敵ですよ。
女性客 :嘘よ。
マスター :本当です。愛している人を思う涙はとても奇麗ですよ。
女性客 :(優しくされたので一段と泣く)どうすれば止まりますか?
マスター :(優しく)彼を追いかけなさい。
女性客 :そんなのカッコ悪いし、彼もきっと・・・
マスター :彼はあなたの本当の理解者だと思いますよ。本当のあなたを見抜いています。けっして彼もあなたと別れたくはないはずですよ。もしあなたが彼の前に本当のあなたをさらけ出せば・・・彼はきっとそれを望んでたんですよ。
女性客 :なぜそんなこと分かるんです?
マスター :彼が出るときあえて言ったじゃありませんか。駅まで歩いて行くと。だから追いかけて行くべきだと申し上げたのです。それはけっしてカッコの悪い姿ではないと思います。
女性客 :マスター・・・
マスター :早く・・・
女性客 :行きます。(駆け出す)マスター、ありがとう・・・
S E ドアの開閉の音
おわり
「スマートな泣き方」
Story by ushi