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秘匿の美

秘匿とは、ひっそりと隠すこと。

今の時代、ネット文化となりSNSが隆盛な時代、誰もが自分というものをアピールするのは当たり前となった。

一昔前から考えると、歴史上一番便利な時代とも言えると思う。

様々なSNSでは様々な自己表現方法で、時には過度なまでに自己主張も出来る。それを活用して、個人でも大いにビジネスを展開し、これまでには考えも及ばなかった巨額な収入も得る事が出来る時代だ。

ある意味、そんな時代に生まれて良かったとも言える。

でも一見便利になったと見えても、その反面失っているものも必ずある。便宜性が目を見張る分、失っていくものは見え難く忘れがちにもなるものではないかとも思う。

人間が作った最大なる便利なものは「言葉」だろう。

言葉の発明によって、人と人とのコミュニケーションがとれるようになり、情報の伝達は目まぐるしく発展していった。

しかしその最大の便宜性によって、人間が失った最大なものはなんだと思いますか?

言葉によって人は、偽るという行為が取れるようになり、場合によっては相手を信用し切れず疑うという感情を持つようになった。そしてそれが嵩じて、対立を生むようにもなったのではなかろうか。

今や女性でも大いに自分を好きなようにアピール出来る。時に自分の魅力を実力以上にも、よく見せれるようにもなった、と思う。そしてそれらは過激に、果てしない競争になっている。

まぁ、見ようによっては楽しめるとは思う。

そうあっても、と僕は思う。

すでに今の時代を生きる人たち全体から見れば、僕はもう古いと言われる年代からかもしれないが、女性の魅力というのは秘匿の内に最大限にあるのではないか、と思うのである。

隠す、という所に女性の最大のセクシー(色気)はあるんじゃないかと思っている。

分からないから知りたい、見えないから見たい、言わないから聞きたい。特に女性のセクシーさは全てを見せる、というよりも如何に隠すかという所に男性の想像力を羽ばたかせてくれる原動力があるのではないか、とも思う。

しかしほぼ絶滅品種と思えるそういう種類の女性も、居ないわけではない。年齢に関わらず、そういう情緒艶めかしい女性は居ないわけではないのだ。

都会の一角でそういう女性を見つけると、その女性に慇懃に「貴女はとても奇特な絶滅危惧種です。出来れば僕の方で保護させて頂けないでしょうか」と声を掛けることを夢想する。

やはりオレは変態だ。

この記事を書いた人

神戸在住の牛王田雅章(うしおだまさあき)、通称牛(うし)です。このサイトは僕の全活動をまとめた公式サイトとなっております。

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