自分のこの世での「使命」というものを見極めて、それに沿う生き方をすれば人生上手くいく。というのを僕はこれまでの長い自分の人生を紆余曲折する中で、知った。
時に「使命」というものは、自分が好きでどうしてもやりたいということばかりではない、という事にも気づいた。案外苦手意識を持っていたり、不得手だと思えるものの中に自分の「使命」というものがある場合も多々ある。
使命とは、自分の周囲が出来ない事で自分がなぜが出来てしまうものが使命というものなのだ。自分が出来てしまうものは、自分ではそう重要性もなく気にしていないこともある。なぜ気にしていないかというと、普通に出来てしまうからだ。でも人から見ればそれは結構難しい事で、時にはお金を払ってでもやって欲しいという事もある。それが自分の使命というものだ。
この世は相対性で出来ている。何かと何かの関係性で出来ている、という事だ。人間社会は自分とその他の人たちの相対性で出来ている。ここで重要なのが、なぜ相対性で出来ていないといけないのか、ということだ。
もし完全な神と言うものが人間を造ったのなら、最初から完璧な姿を創ることも出来たわけだ。けど、そうはしなかった。
要は、神は人間を不完全なものとして創作したからだ。
ではなぜ、神は人間を不完全なものとしてこの世を創ったのか。
それは神が不完全な相対性にある人間たちが、その不完全さを埋め合わせる為に理解や協力や援助し合うというプロセスを見たかったからだ、と僕は思う。
この世の全てのものは相対的に出来ている。陰陽、天地、上下、左右、男女などすべてにおいてそれだけは完結せず、相対するもの同士の補完作用で完璧となる。一番身近な例が男女が愛し合って新しい命を産み出す、という途方もない複雑なプロセスが必要な作業なんかもろにそうだ。
なので人間というものは補完し合う、ということが最も重要であり、その中で自分の使命という役割を果たす時にその人の人生は輝くと僕は思う。
その仕組みに気付いたり、自分の能力を活かす事に歩み出す手助けになるようにしているのが僕のセミナーということなのです。