働而遊とは働(はたらく)ことが而(すなわち)遊(あそび)であること。
または、遊(あそび)が而(すなわち)働(はたらく)であること。
これを分かりやすく訳せば、、、
「遊ぶほど趣味のほど
恋するほどに
働くことが好きならば
人は誰でも幸せになれる」
と、僕の信条。
僕と一緒に仕事をしている人たちには、まずはこれを体感として教えます。
シリカを知るおもしろさ。それを伝えるおもしろさ。波動や意識というものを知るおもしろさ。そしてそれを活用して起こる出来事のおもしろさ。
おもしろさ、というものは人が続ける唯一の原動力となる。
子供がゲームをクリアする為に、1日3時間も5時間もがんばる。でも、それを親は「この子はなんて頑張り屋さんなんでしょう!」と、まずは褒めない。
女性の個人事業者が、お客様のフォローをする為に1日何十通というメールの返信や電話対応をする。来客のお客様にも毎日毎日丁寧にサービスを提供する。人はこういう人をとても努力家、と褒める。
でも、ゲームをクリアする子供もお客さんを丁寧にフォローし続ける大人も、実はやっている行為は同じ。目標に向かって、出来ない事を出来るまでコツコツし、目標を達成すること。
仕事でも自分がおもしろいと思って毎日する仕事は、ゲームをクリアしたい子供と同じで苦痛を感じることなく常におもしろがって目の前のことが出来る。
でも、その仕事に苦痛やストレスを感じるものであれば、自分の身体は日に日に蝕まれてその内病気になる。
なので仕事というものは、収入を得るという目的以前に自分が心の底から「何時間やっていてもおもしろい!」という事だけをしなくてはならない。
これが、働而遊。
睡眠から目覚めた時「昨日の続きの作業がしたい」と思って、起きたとたんにPCの画面を立ち上げる。
外で人と会っている時でも「早く帰ってあのサイトの制作の続きをしたい」と夢想する。(なので僕はよく人の話を聞いてないと言われる)
仕事で自分がまだ知らなかった事が分かった時、何よりも喜びを感じる。(エクスタシー)
こういう感覚が、働而遊。
そして自分が一番面白がっている仕事に対して、他の人が興味を持ってくれて、自分が提供している商品が売れる。その結果代価が発生する。
代価が発生し、それが自分の収入になる、というのは自分が好きな事を追求した最終的な結果なので、仕事中はお金のことなんか考えない。
考えるのは自分が追及している「おもしろさ」だけで、それをどうやったら自分と同じく面白く思ってくれる人が増えるだろう。ということだけ。(遊び相手を探す感覚)
遊び相手が増えれば増えるほど、さらに自分もおもしろくなる。
これが言ってみれば、僕のビジネススキーム。
週末の休みが待ち遠しいとか、月曜日からの仕事の事を考えると憂鬱になる。なんて言っている人の気持ちが僕は知れない。
もしそういう状態なら、今すぐそんな環境なんて捨てるべきだ。
肉体的にも、精神衛生上良くない。
自分の魂(本質)も、きっと望んでいないでしょう。
働而遊(どうじゆう)。
「遊ぶほど趣味のほど
恋するほどに
働くことが好きならば
人は誰でも幸せになれる」
これを肝に人生生きれば、最期には「あ~、おもしろかった」と言って死ねるはず(^。^)y-.。o○牛