僕は仕事の中で僕と関わってる人(多くは女性)をコンサルティングをする、という事もたまに行っている。(一般の人にはしない。取引関係のある人のみ)
その内容はビジネスで関わっているので、多くはその人のビジネスを形作る、そして拡大化し収益を伸ばすということがほとんどだ。
僕の唯一の取柄というものが、ゼロから形を作るという技能ではないかと思っている。その他日常的に普通の人が出来ること全般は、ほぼ平均値はないと思っている。
その人が行っているビジネス業態、持っている知識、提供できるサービスというフラグメント(断片)を、その人が話している内にそれらの断片が結びついて「こうすればいいんだ」ということが自然と浮かんでくる。
きっとそういう時、僕の思考は変性意識状態になり一番いいその人の方向性、具体的な方法が浮かんでくるのだろうと思う。
なぜそのような回路が出来たのかというと、20代の頃シナリオライターになりたくてドラマツルギーを学び、実際ドラマを数えきれないほど構築した経験から来ているのだと思う。
劇作とは複数の登場人物の性質、ドラマの中の人物配置、関係から起こる事象、そしてその事象の結果の連続性から起こるドラマティックな局面を構成していくプロセスだ。
人の技能というのは10000時間学習すれば、脳の思考はオートマティックに作動し、一番良い方法を導きだしたり、技術的にも出来るようになると言われている。
プロと呼ばれる専門職の人の多くは、このトレーニングの10000時間を経験しているものだ。
その蓄積から湧き上がる閃きをプロの勘と呼んだり、センスと呼ぶ。
『天才! 成功する人々の法則』マルコム・グラッドウェル著
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どんな才能や技量も1万時間練習を続ければ「本物」になる1万時間の法則。
ビジネスというものに(特に自分で形作っているビジネス形態では)、その人の性質、人間としての本質、そしてそこから来るその人の生き方、哲学というものが垣間見える。
なので、僕はビジネスとはその人の生き方の反映だと思っている。
そこまで考えると、ビジネスという技術を教える中で、人間性や哲学という領域まで話が及ぶこともある。
「こういう結果が欲しくば、こうすればいい」というテクニック的な事を教えるのは簡単だ。でも、なぜその方法を取らなければいけないのか、という根源理由まで把握しないとその人が打ち出すビジネス的提案は、上っ面なものにしかならない。
本物ではない、ということ。
いきなりプロや本物という人やサービスは出来ないが、プロ意識、本物であろうという意識は持とうと思えば、それはすぐに持てるようになる。なぜなら、意識は瞬間的に変えることが出来るからだ。(僕の波動セミナーでは常に唱えている)
今日のコンサルは池尾里絵だったので、話しの流れで「比較することの愚かさ」みたいなことを教えた。
正確には「比較する中で持つ価値観」という話だ。
おそらく彼女はそんな事は聞いた事も教えられたこともなかったのだろう、きょとんとした顔をして合点出来る着地点を探していたが、得られないようだった。
それは仕方がない話だ。
なぜなら、今の人間は比較し比較され、その中から価値観を与えられるという環境、教育で育っていきているので比較する事が当然と思い、疑うことをしないからだ。
誰それと比べて自分はこうだ、なのでそれは正しいまたは間違っているとか。それから得た判断で、こうしなければいけないと勝手に方向性を決めてしまう。
例えば教育の中では、この子は英語の成績が悪い。だからもっと英語に力を入れないとこの子はいけない。と、点数で価値観を決めその子の方向性を勝手に決めようとする。
英語の成績が悪い。だからこの子を英語塾に行かせる方がいいのではないか。それも出来るだけ早いうちに。せめて平均点以上の成績を取らせるために。
と、親が子供に働きかければ、間違いなくその子の波動(エネルギー)は下がる。
比較するという行為自体には、良いも悪いもない。比較した上で、人として価値観を勝手に決めてはいけない、ということだ。
比較はあくまでも、先行きの参考にする数値であったり判断材料であるべきで、価値観を決めるものではない。
例えば、英語の悪い点を取って来た子供に父親がこう言えばどうだろう。
「お前は今回のテストで英語の点数が悪かった。もし英語が好きで、英語をもっと勉強したいと思っているのなら、もっと勉強が出来る塾とかの環境をお父さんとお母さんが作ってあげてもいい」
大概の場合、子供は好きでないので勉強しないのである。
「でも、お前は数学や理科の点はいいな。きっとそれは好きなんだろうな。英語は苦手だと思ったら、もう勉強しなくていいよ。でもお前が好きな数学や理科なら、もっと優秀になるとお父さんは思う。お前が好きな天体の本を、今日は3冊もお前に買ってきたやったぞ。好きなものなら覚えるのは早いと思う。お父さんはそういう理系の事は苦手なので、お前が勉強して覚えたことをお父さんに教えてくれないか。そうしてくれるとお父さんはとても嬉しく思うんだけどなぁ。どうかな?」
と、子供に話してあげればその子は一気にテンションが上がるのではないかと僕は思う。
学習した点数というのは、その子の個性を知るあくまでも参考なのだ。それが最終のモノで、その子の価値を決めるものではない。
ビジネスを教える中でも、僕はまず自分が描く「理想世界」を掲げよ、と教える。
その理想世界は真似事ではなく、自分の思念から出来て来た生きる姿であり、哲学だ。
その理想世界を構築する為に、方法とか道具というものがある。
その道具となるものが、すなわち商品であったりサービスというものだ。
なので、商品やサービスというものはあくまでも道具であり方法なのだ。それ以上でも以下でもない。それを最優先にしたり、絶対的なものにしたらビジネスは上手くいかない。
ビジネスとは、自分が生きて来た中で出来た価値観の提案だ。
それが周囲に受け入れられた時に、そのビジネスは成功する。
価値観は単純に比較し、そこから得られる平均点や優秀点ではない。
価値観とは生きるその人の姿勢であり、その人のレゾンデートル(存在意義)だ。
≪働而遊≫
働而遊(どうじゆう)とは働くことが遊びであり、遊びが働くこと。
遊ぶほど趣味のほど恋するほどに働くことが好きならば、人は誰でも幸せになれる。
ビジネスとは僕の中ではこの世のゲームそのものだ。
リアル人生ゲーム。
なので、僕はビジネスという行為が世の中の何よりもきっと好きなのだと思う。