[ 醍醐味 ]
(1)醍醐の味。美味の最上のものとされ、仏の教法の形容とする。(2)すばらしい味わいの食物。(3)ほんとうの面白さ。深い味わい。神髄。「釣りの―を味わう」
三省堂提供「大辞林 第二版」より
っていうのが [ 醍醐味 ]の意味らしいよ。
そうなるとタイトルの意味は、恋愛におけるほんとうの面白さ、深い味わいとは?となるね。
さて、みなさんが思う恋愛における深い味わいとはなんですか?
素直に考えると、好きな人と結ばれること。または好きな人に愛されてると思う瞬間。または好きな人と同じ時間を共有すること。
そういうのがまずは思い浮かぶんじゃないかな?
もちろんそう思う気持ちも素直な感じ方だと思いますよ。
でもそれは「恋」という瞬間的な期間における瞬間的な味わいだと、僕は最近になり思えてきたのね。
では、本当の味わいとはなんじゃらほい?
まずそれを考える前に「恋愛」とはよく聞く言葉だけど、聞き過ぎるだけにその本当の意味を考えることを忘れている。
「恋」といい、「愛」といい、「恋愛」と言います。
その違いはなんじゃらほい、ということにまで遡るのですな。
「恋愛」と言いますが、間違っても「愛恋」とは言わない。となると「恋」が先にあるわけですね。その後に「愛」が来てる。
ここが肝心なところだと僕は思う。
そしてここまで考えた時に、牛流恋愛論では「恋愛の醍醐味は、その恋がまさに終結し愛に昇華した瞬間」となるわけですよ。
「恋」と「愛」は、まさに全く違うもの、と確か以前のこのコラムでも書いた覚えがあるのですが、記憶にない方は遡って探して下さいな。
それが面倒だ、という方のためにかいつまんで簡単に説明するなら、「恋」とはお互いが向き合っている状態なのですね。出会いからお互いが引き寄せられる。その時は少しでも相手のことが知りたいし、相手と一緒に居たいと思います。これは誰しも同じでしょう。
これが「恋」をしている状態。
恋は盲目と例えられるように、この恋する期間は感情が働きすぎて相手のことがよく見えなかったり、自分本位になったり、嫉妬心が沸いたりもして、上がり下がりが激しいの。誰かさんみたいに。
そういう相手とのドラマがたくさんあって、次第に相手のことが分かってくる。分った時にお互いは二者択一を迫られます。
「このまま行くか」「別れるか」ですな。
すったもんだした挙句、相手の良いも悪いも了承して最後に「わかった。それでも、お前だけや!」みたいになった瞬間、またはお互いがそれを自覚した瞬間、それが僕がいう恋愛の醍醐味なんですよ。
だから「恋」とは、時間的な尺で言えば本当に瞬間的なものだと思います。言ってみれば二人のプロローグ。
恋愛の醍醐味というのは、「恋」から「愛」に変わる瞬間みたいな感覚です。だから「愛恋」とは言わず「恋愛」というのだと僕は解釈しています。
人は誰でも人生の前半は、自分の最愛なるパートナー探しに時間を費やす期間なんじゃないでしょうか。そして恋という期間でお互いを確かめ合います。
恋する期間で、その”縁”を確かめ合った二人は、恋の期間を終えて、それを愛し合う関係へと深めます。
愛し合う関係とは、お互いを見詰め合うのではなく、手と手を結び、道を同じくして後半の人生を共に同じ方向を見つめて歩んで行く関係です。
最期には、歩み続けた二人は人生を共に戦った戦友のような気持ちにきっとなることでしょう。
「恋」でも「愛」でもない、「恋愛」の期間というのは人生を共に出来る相手なのかお互いが試されている時期なのです。
だから恋する二人が、恋から愛へ転換を宣言し合う瞬間が僕は醍醐味だと思うのです。
「恋愛」とは、「恋」から「愛」へ上手くステージアップしなさいよ、という意味があるのだと思えば、またこの言葉を聞くときの気持ちも変わるかもしれないね。
まあ、これは牛流ですが、、、
では、ステージアップした「愛」とはなんぞい?
と、いうことになるのですが、「愛」を述べるにはまだまだそれを定義づけられるほどの私でもありませんので、それはこの「恋愛コラム」が続く限りの永遠のテーマとなることでしょう(^^;
あしからず。。。