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人生で3回4回結婚するのは当たり前の国の風習を見てみよう

今日は珍しくAMのラジオを聞いていた。

おもしろい内容だったのでしばらく聞いた。

番組の中でアシスタントの女性が「現代の女子高校生の性体験の割合」というアンケート調査の結果を報告していた。

その割合は、経験者は3人に1人だそうだ。

まあこの結果は、年齢により感じ方はまちまちだろう。

アシスタントの女性は「そんなものですか、もっと多いと思いました」と素で答えていた。

その番組のパーソナリティの年配の男性は急に、「タヒチでは・・・」と、タヒチの国のことを語り出した。

なぜタヒチかというと、仕事でタヒチに長く滞在していたようだ。

理由はそれだけ。

でもそのタヒチの国の結婚制度や風習みたいなのがおもしろかった。

まずタヒチの国では、結婚する年齢が日本に比べ驚くほど早いらしい。

平均女性で15才で、子供生んでいるそうな。

早くに出産する子では、12・3才くらいだという。

なんとタヒチの女性は12・3才で結婚するのだ。

ここで普通に考えたら問題が起こる。

12・3才だとまだ教育を受けている段階ではないか。

ここが風習の違いである。

生んだ子は、その生んだ親はまず育てない。

と言うより育てられない。

じゃ誰が育てるのかと言えば、その女の子の両親の家に預けられるのである。

そしてその子供は、女の子の両親がしばらく育てる。

生んだ若い親はまだ教育を終えていない場合は、学校へ通うのである。

成人すれば自分たちで育てる。

それがタヒチでは当然のごとく行われている風習らしい。

そして12、3才で結婚してもそういつまでも結婚した男女が一緒にいるわけがない。

日本も一緒で、12、3才くらいの恋は終わるのも早い。

結婚したからといって無理に一緒にいようとせず、すぐに別れる。

だから向こうでは離婚も当たり前となっているし、誰もそんなことでとやかく言わないそうだ。

そして女の子も再婚したり離婚を繰り返す。

3回目の結婚では、それぞれ違う夫の連れ子3人という場合も珍しくないそうだ。

そして男性も女性に連れ子がいるのも当たり前として受け入れる。

それがタヒチでは至極当然なんだという。

男性でも平均で、一生に3~4回は結婚するのが普通らしい。

1回くらいでいる人には逆に驚き、「なぜ君は人生を楽しまないのだ?」と不思議という感じで聞かれるらしいよ。

僕の感覚の中では、このタヒチという国の結婚制度や風習はとても近い感覚に思えて共感を覚える。

とても自然な感じだ。

南国の開放されたお国柄と、閉鎖的な農耕民族の違いだからだろうか?

僕が感じる日本人の異性との付き合い、結婚制度、結婚生活、離婚についての考え方はどこか閉鎖的で、我慢の美徳というものをすごく感じる。

それは大人社会になるまでに、学校教育からまずは「我慢」するということを基本に教え込まれているからではないか。

遊ぶことを我慢して受験勉強をする。

結婚のことを考えて、我慢してお金を貯める。

老後に備えて我慢して働く。

何事も我慢して、苦労している人を立派な人だという認識がこの日本では美徳化されている。

「今仕事で忙しいから(大事な時期だから)、彼女(彼氏)は作らない」と力強く宣言する人がいる。

僕からみれば忙しくでも、出来る時は出来るよ。

と思う。

でもそういう人はかたくなに一人でいようとする。

タヒチの人から見れば、それこそ「どうして今の人生を楽しまないのか?」と、言われそうだ。

仕事が忙しくても好きな人がいれば、余計励みになり頑張れるということも多々ある。

僕の推測だけど、「今仕事で忙しいから(大事な時期だから)、彼女(彼氏)は作らない」と宣言する人は、交際においてデメリットの部分ばかり考える人ではないかと思う。

マイナス、マイナス、マイナス、イコール、止めておこうと。

どんな状況でも、好きになった人には「好きだ」「付き合って欲しい」と言えばいいと思うのは僕だけかしら?

言うだけなら5分とかからないのに。

本当に相手を思いやる人なら、相手の仕事の邪魔をしないだろう。

本当に優しい人なら、自分と相手の仕事を天秤にかけさすバカなこともしない。

僕は単純だからか、先祖をたどればタヒチ人の血が流れているからか、今日放送から聞いたタヒチの人達の風習にいたく共感を覚えた。

「○○だから、こうしなければならい」という考え方より、「こうしたいから、○○するんだ」というタヒチの人達の考え方がしっくりくる。

頑張ることは必要だけど、我慢は必要ないと思う。

本当に自分が目指したいことは、疲れることはあっても我慢と感じないからだ。

タヒチの人に友達はいないが、会えばたぶん気が合うと思う。

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