許す数だけ許される

生きていると知りながら、もう死ぬまで会えないだろうと思う人がいる。

その人が自分にとってどうでもよい人であったり、好かない人であればそんな事も思うまい。

心の何処かで「もう一度会いたい」と思っているからこそ「もう死ぬまで会えない」と思うのだろう。

その「もう一度会いたい」という心境は何かという事は、自分の中でははっきり分かっている。

会って詫びたい何かがあるからだ。

人は生きている上で人を裏切り、裏切られながら生きるものだと思う。

裏切られた場合はまだ気が楽だ。

「あの野郎」と怒り心頭して罵詈雑言を放っていれば、時間が過ぎれば新しい状況の中で嫌な事は忘れ去る。

しかし自分が裏切ったと感じた場合、そしてそれが愛する人であった場合、そしてそれが原因で永遠の別れとなってしまった場合。

「もう死ぬまで会えないだろうなあ」

と、時間の隙間に心で呟く。

人は人に裏切られ、また自分も誰かを裏切って生きていく。

だからこそ「相手を許す」という事が必要なんだ。

許す数だけ許される。

それが50年も生きてきて少しわかった事の一つ。

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