死後からの手紙

オームの死刑囚が処刑されたニュースがメディアで話題になっている。
獄中で死期を悟った死刑囚の手記は、聖人でもあるかのような内容のものもある。
それは元はやはりエリートと言われる人種であり、普通にして全うな教えを受けていれば、生き方においても秀でた人になってたであろう事は推測できる。
そういう事象を傍観している我々だけど、実は彼らと共通する事が一点だけある。
それは「死期」は誰もが必ず持っている、ということである。
彼ら死刑囚は人為的に「死期」を作られ、自分の死期が極限までにクローズアップされただけで、一般の人間にも必ず死ぬ時というのは自然にしろ偶発的なものにしろある。
でも多くは、死というモノは自分にはほとほと関係なく一生来ないのではないか、というくらいにしか現実感はない。
もっと日常の中でも「死」というものを真剣に考えるべきだ、と僕は周囲の人に事あれば言う。
僕は色んな変わったセミナーもしているけど、その中で自分が死んだと仮定して、その死後から生前の自分に手紙を書く、というワークショップがある。
遺言というものはあるけど、死んでしまった自分から生前の自分へ伝えること、というのはなかなか発想しないのではないかな。
だからワークをした人は、変な気持ちになる、という感想を抱く。
なぜ自分の「死」を真剣に見据えた方がいいかと言えば、今という瞬間を大事に生きれるからだ。
「 武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり 」
とは『葉隠』という古書にある一節。
この真意も「死」が実際の「死」を意味するのではなく、「死んだ気になること」だと理解できる。
自分の死を仮想することで、今を一所懸命生きることが出来ると思う。